2011年12月25日

東日本大震災 ~希望 環水平アーク~

 東日本大震災(2011年3月11日)により被災された皆様、御見舞申し上げます。

 あの日、残雪の残る新潟の北部にいました。地震後,宿に戻り,テレビとネットで情報を整理し、できるだけ正確な情報を関係する仲間に流すと共に、被災している仲間の安否を寝ずに確認したり、仲間と状況を情報共有していた。
 新潟は停電していなかった。食料も燃料も十分あった。
 デスクのある酒田市は停電で混乱しているだろう。
 新潟から朝まで情報確認、発信、共有した後、今後なくなるであろう食料を買い込み、車両のガソリンと携行缶を満タンにして酒田まで戻り、周辺の状況を確認し、電気も復旧したのを見届けて、仲間の状況確認と救援のために宮城へと向かった。福島の原発メルトダウンの影響で福島や仙台からの流出住民車両で国道13号は満車だ。高速道路は通行止め。
 関山峠越えを選んで急いだが落石や地割れ、がけ崩れを何度も振り切って仙台に入り、仲間に救援物資を届ける。その間は町の様子を見ないようにした。でも見ざるを得ない状況で周囲を見てみた。
 崩れそうなビル。火事になっている街。ガスタンクが燃えている。都会の人たちが町にあふれ食料や水、トイレなどを求めてさまよっている。放射能汚染が進んでいる状況も情報は入っていないようだ。「直ちに影響がない」いうのは「間違いなのに」。悲しい現実だ。仙台は見捨てられているのか
とも思った。
 車列は往復ともほとんど動かなかったが何とか天童まで戻って宿を基地にしてネットやラジオ、無線、テレビを駆使して、仲間にそれぞれの街のライフライン情報を流し、仲間の安否を整理し情報共有した。
 15日は宮城から岩手の状況を確認した。特に道路通行可否状況だ。
 その後は酒田に戻り、しばらくはデスクで仲間の安否確認や情報整理、ライフライン状況を情報共有した...。
その中で良かったこと、悲しいこともあった。

 やっとこの年末になり、あの時の走ってきた気持ちを書き込みできるようになったので紹介してみた。

 震災によっていろいろなものを失った仲間たち
 その仲間たちは強い!! 「顔で笑って心で泣いている」
 
 神様はいない。
 命が助かったのは本人たちの努力である。 
 タイミングである。
 生きる希望を捨てないのに、そして、生きたいのに亡くなった方がほとんど全てだ。
 神様はいない。
 信じるものは救われるのはうそである。
 
 強い精神力、気力を持たないいけない。
 そして身につけられるように努力と研鑽を重ねなければならない。

 日本はいつからか平和な国だと思って、国民は安心して暮らしていた。
 
 でもそれは間違いである。

 平和すぎると忘れてしまうハングリーな部分を身につけないとこれからは生きていけない。多感でないとダメだと思う。

 普段からいろんなことを考えて、いろんなことに活かせるように...。


 希望の虹
今年、希望の虹「環水平アーク(かんすいへいあーく)」を見ました。
 希望をみなさんに!!

東日本大震災 ~希望 環水平アーク~



Posted by やまからうみ at 23:24│Comments(0)
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